おだやかな日々に

短歌と私 19

朝日
アララギに入会して間もなく、東京歌会で隣り合わせになった上品なご婦人に、「小さな歌会は無いのですか?」と伺ったところ、「お菓子を頂きながら楽しくやってます。宜しかったらお入りになりませんか」と親切に誘って下さった。茨城での短歌会を懐かしく思っていたので、お菓子の出る歌会に惹かれて渡りに船とばかり仲間入りすることにした。

毎月一度の会で、家からは1時間以上かかる杉並の閑静な住宅街にあるMさんの私邸が会場であった。ここでも誘って下さった方以外は初めての方ばかりで女性ばかり8人ほどの集まりであった。

ここでの歌会も東京歌会と同じやり方であった。
私の批評の番になった。当時の私の頭の中にはM師匠の雪虫がひらひらと美しく舞っていたので、アララギ流のゴツゴツした歌にどうも詩情を感じられなかった。若さと意気込みで、「この歌には詩情が無い」と感じたままを言ったものだった。

「ま、初心者の方には初心者の方の感じ方があるでしょうけれど、これに詩情が無いと言うのはねぇ。」「そうですね。これは良い歌です。」

 やがて分かった事なのだが、この歌会のメンバーはアララギのベテラン女流歌人たちの集まりだったのだ。以後、ここに来るたびに、何故か発作的に咳が出て暫く止まらなくなって困った。どうも才媛歌人アレルギー症候群にかかってしまったようだった。

  1. 2006/01/30(月) 22:20:08|
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ネパール

ネパール
昨日はパソコン講習会があり、コーラスの友人二人も誘って出掛けた。その友人の一人がつい最近ネパールに行った。行きの電車の中でその話を聞きながら序でに紅茶のお土産を頂いた。
 如何にもネパールの民族的な柄の布袋の中に、ウーロン茶っぽい紅茶がぎっしり入っていた。良い香りがする。Pure Nepal Tea と英語で書いてある。飛行機の中から写したというエベレストと、地上がら写した
真っ白に雪を被ったアンナプルナの画像を頂いた。私よりちょっぴり年上の彼女のタフな行動力に感心したり、未だ見ぬネパールやエベレストの雄姿を想像して楽しかった。勿論、パソコン講習会も有意義であった。いつものブログのお友達に会えなかったのが残念でしたぁ・・・

  1. 2006/01/29(日) 15:39:50|
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短歌と私 18

 その他の先生方にも相対して目の前で選歌をして頂く事が出来たのは幸せな事であった。宮地先生、清水先生、小市先生は現在も活躍して居られる。
 小市巳世司先生は茨城でお世話になったT先生にどこか相通ずるものを感じた。その小市先生に3首も採って頂いた事があった。その中の1首に、
 街燈の灯にきらめきて雪溶けの水が氷となりてゆくとき
があった。誰も居ない夜の道でキラキラとした水が氷に変化してゆく一瞬に遭遇して、そのかすかな一瞬がいとほしくて何故かいたく感動した。そしてその「時」を残しておきたいと思った。
 結局、アララギが解散してどこの結社に入ろうかと思った時、小市先生の居られる所に迷わず入ったのは、「その歌」に目を留めて下さったのが小市先生であったからかも知れない。きっとそうなのだろうと思う。















  1. 2006/01/28(土) 22:41:30|
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短歌と私 17

 樋口賢治先生は穏やかな物静かな方であった。
 
 ひらひらとひかりの中に花乏し亡き父のいとしみし庭の辛夷は

 これは落とされた歌であるが、先生は私の詠草を眺められて、
「全体的にもう少し具体性をもった方が良いですね。休まずずっと続けて下さい。」と励まして下さった。嬉しかった。

吉田正俊先生はそのお歌そのものの方であった。殆ど添削はなさらなかった。いつも冷静に端然として居られた。
 をさなきままにかたち整ふ柿の実のゆたかに青き下に立ちたり
 艶もちて色あたたかき唐三彩の馬はそれぞれに首をかたむく
などの歌を採って下さった。

柴生田稔先生は当時良くテレビに映った東山魁夷画伯に似て居られると思った。優しい暖かみのある先生であった。
 
 魚津過ぎて月沈みたり上野より夜行列車に揺られつつ来て
をご覧になって、
「この歌を採りますけれどね、下の句を上にもっ行くように添削していらっしゃい。」と言われた。席に引き返し、夢中で添削した。
 上野より夜行列車に揺られ来て月沈むとき魚津を過ぎぬ
として再び見て頂いた。
すると、
「ああ、ずっと良くなりましたね。歌はこういうように、上から素直に詠むのが良いのですよ。何でもないように見えますけれど、こういう風に素直に歌うのが良いんです。」と仰って大きな丸を下さった。
  1. 2006/01/27(金) 15:50:07|
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短歌と私 16

 落合京太郎先生にもなかなか採って頂けなかった。
私の詠草に目を通されて、「貴女は勉強して居ませんね。」と言われた。冷や汗が出た。ズバリ、言い当てられた。本当に恐ろしい方だと思った。
 コスモスを透す西日の明るきにひとり残されし媼を見たり
母と同郷というので、良く遊びに来たおばぁさんが居た。ある日、年下の夫が家出して、彼女が一人取り残されてしまった。彼女の小さな家のまわりにコスモスの花が一杯咲いていた。その事を歌いたかった。
先生は次ぎのように添削された。
 コスモスを透す西日の明るきに隣の媼ひとり立ちゐる
私は何となく不満であったが、今はそれで良いと思う。

同じ時、
 前もうしろも疎水の音の響く町暮れゆくらしも茜色して   を
 前もうしろも疎水の響く細き町暮れゆくらしも茜色して と直された。「音」は入れなくても分かる。その代わり、「細き」を入れて町の状態を鮮明にされた。
  
  1. 2006/01/26(木) 21:26:23|
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短歌と私 15

 アララギに2月に入会した私の歌が初めて掲載されたのは表紙にテイツィアーノの「聖愛と俗愛」の絵が描かれている5月号であった。勿論たった1首である。
 雪の夜を友より給びし絵に見入る水色とも紫とも見ゆる背景  
木暮政次 選
この絵はお別れに臨んでM師匠が私の為に描いて下さった水仙の油絵であった。懐かしい日々、懐かしい人々を思いながら歌った歌であった。

これを採って下さった木暮先生の作風はアララギの中では異色だと私は思っていた。滅多に2首は採って頂けなかった。ある木暮先生の面会日に「萩を去ると松本川を渡るとき町に明るく西日差したり」という歌を採って下さった。そのとき、「この『町』はいいかげんだが。時間があればもっと教えてあげられるんだがねぇ」と仰った。

この歌をどのようにすればいい加減にならないのか、どう教えてくださりたかったのか、とても知りたいと思った。そして木暮先生のお優しさが嬉しかった。
  1. 2006/01/25(水) 14:25:45|
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短歌と私 14

 当時の選者は、樋口賢治、落合京太郎、清水房雄、小市巳世司、吉田正俊、宮地伸一、木暮政次、柴生田稔の各先生方であった。T先生の仰る通り、面会日があり、希望者は予め詠草を提出する際、原稿の上に「面会希望」と書いておくと、それが担当の先生の元に送られ、目を通しておいて頂ける。
 初めての面会日が来た。勇んで家を出る。電車を乗り継いで神田の岩波ビルの会場に着くと、もう、大勢の会員が椅子に座って順番を待っていた。二人の先生が正面の席で順に会員と相対し、鋭い目つきで原稿を睨み、会員は堅くなって神妙に腰掛けている。やがて先生は赤鉛筆で採られる歌に丸をつける。先生に依っては、何も仰らないで、「はい」と原稿を返される。或いは叱責される。会員も食い下がって質問する人もいるが、大体は「有り難う御座います」と言って引き下がる。これまた緊張の連続である。会場はシンと静まりかえって先生の赤エンピツの音まで聞こえる程であった。

 いよいよ自分の番が来て、先生が目の前で赤鉛筆で大きな、或いは小さな丸を一つ、二つ、とつけて下さるその瞬間の喜びは何とも言えないものであった。当時十五首提出して二首採られればバンザイ、三首ならば万々歳、ベテランでも平均四首程度であったと思う。お昼頃会場に着いて、終わったのは四時過ぎであった。次ぎからはもっと早く来ようと思った。
  1. 2006/01/24(火) 10:52:13|
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短歌と私 13

東京歌会に足を運ぶにつれ、その緊張感というものが、得難いものに感じられるようになった。自由気ままな毎日の生活で、それは全く忘れ果てていた感覚であった。
 歌会が始まると、会場にはピリっとした空気が張りつめる。土屋先生の話を聞き漏らすまいと全身耳となり、歌稿にメモする。先生の話はあるときは慈父の如く、ある時は震え上がるほどの厳しさであった。それは歌の内容に関わるものであって、特に印象に残っているのは、ある「母」に関わる事を歌った歌についてであった。先生はその歌に母を貶める何かを感じられたのであろう。先生は「母」という存在を殊の外大切に思って居られるように私は感じた。また、歌に「傲り」が見えるような内容の時も然りであった。
 植物に関する知識と愛情は、また格別で、知らない事は無いのではと思われる程であった。まぁ、すべてに関してコンピューターのような知識と底深いところに秘められた暖かい人間性、そして先生のロマンチシズムを私なりに感じ、目の前に居られる土屋文明先生は正に天才である、天才は本当に存在するものなのだ、と実感した。
  1. 2006/01/23(月) 16:40:37|
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東京の雪

雪の成田
イダと孫が里帰りの為、成田まで見送りに行く。駐車場は殆ど満車。辛うじてスペース獲得。ロビーに行くと人で溢れていた。昨日の雪の影響で出発出来なかった乗客が午前の便になだれ込んでいたのだった。しかし、バリ行きのガルーダは乗客が少ない。テロが予告されているバリに行く人は少ない。イダはデンパサールで乗り換えてジョグジャカルタへ行くのだが、結局4時間遅れて飛び立ったとか。今夜はバリのホテルに泊まる事になるそうだ。もう一時間くらいでカンボジャの花が咲き満ちているバリに着く。懐かしい古里に着くのは明日。
  1. 2006/01/22(日) 21:18:11|
  2. 今日の風、今日の雲
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ヴァイオリンミーティング

3つのヴァイオリン昨日の事。重いヴァイオリンケースを抱えて私鉄、JR,地下鉄と乗り継ぎ、Vnの練習に出掛けた。いい年をしてヴァイオリンを持って歩くのは何だかき恥ずかしい。いかにも重そうにして歩くのも格好悪い。背筋を伸ばして颯爽と歩いた積もりだが、帰りにはもうそんな気はどこかへ飛んでしまって最低限の買い物を済ませてドッコイショと帰宅。
Vn3の会の事は下のURLへどうぞ。宜しければのお話でございます。
http://home.a05.itscom.net/bagus/oyoshi/vn.htm
  1. 2006/01/20(金) 22:16:12|
  2. あんなこと、こんなこと
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短歌と私 12

 T先生のお薦め通り、早速アララギに入会した私は、誰一人知る人もないアララギ東京歌会に出掛けた。当時は神田の岩波ビルの上が会場であった。詠草のプリントを頂き初めてアララギの皆さんの歌にお目にかかった。何だかゴツゴツした感じの歌だなぁ・・というのが初印象。
 「あの・・、互選はしないのですか?」とお隣に腰掛けている方に聞く。すると、ジロリとこちらを振り向いて一言、「アララギは互選は致しません!」 ガツンとやられた感じであった。

土屋文明先生がいらして時間きっかりに歌会が始まった。
今までの歌会とは全く違うやり方で、各人が提出した歌2首のうち、どちらの歌が良いかを座席順に発言するのだ。今までは予め送られて来た歌を自宅で読み、考えて来た事を発言していたので、今初めて見る歌をその場で何処が良く、何処が悪いと判断して発表しなくてはならないというのは私にとって、すごい緊張と集中を要する事であった。

ところが、大体私が良いと思った方は、ダメなのである。
2首のうちどちらかとなれば決定しなければ成らないのであって、土屋先生は、「後の歌がダメだから前の歌!」などと仰る。だからと言って前の歌が良いという訳では無いのである。

歌会果てて、どうしてわざわざ時間を掛けてこんなに厳しい所へ行かねばならないのかなぁ、と思いつつ坂道を登って家路につくのであった。
  1. 2006/01/20(金) 14:11:55|
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短歌と私 11

 よちよち歩きの私の短歌を懇切丁寧に指導して下さった師匠Mさんは冬になると雪虫の歌を歌った。私は雪虫を知らないし、これが雪虫だと認識したこともない。けれど、Mさんが雪虫の事を話す時、目が遠くなってそれは美しいものでも見ているようになるのだ。だからきっと雪虫は居るのだろう。辞書にはカメムシ目ワタアブラムシ科昆虫の一群の俗称とか、冬季、積雪上に出現する昆虫の総称、などとあるが、Mさんの雪虫は特別に美しい生き物のようだ。

 いづこより来し雪虫か人われを避くるともなし夕べの庭に
 人に逢ひ人に別れて生きて来ぬ今年またわれの雪虫に逢ふ
 いまは亡き人の雪虫恋の日の雪虫いづれさみし雪虫
 日月の遠くなりつつ目裏になほ閃きて雪虫のいろ

そして優しい人々と美しい海と山にはぐくまれて過ごした6年間に別れを告げて東京に舞い戻った。
  1. 2006/01/18(水) 21:48:13|
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短歌と私 10

短歌誌 I 歌人は現在2冊を残すのみで全部処分してしまった。今手元には2冊の会誌と地元の短歌会の会員で出した合同歌集「海と山と」の3冊のみである。ここから牛飼いのIさんの歌を。

 分娩の迫れる牛は乳首より乳噴きにけり起たむとしつつ
 刻々と仔牛のせり値上りゆく電光掲示器点滅しつつ
 せり市に売りし仔牛を母牛は夜すがら呼びて啼き明かしたり

Iさんと言えば牛の歌であったが今心打たれるすごい歌を見つけた。
 
 田の泥を点々と野良着に附けしまま運ばれゆけり倒れし妻は

東京に発つ日、駅まで見送りに来て下さった。丸刈り頭の物静かな純朴な方であった。

 腰の曲がったおばあちゃんIさんは殆どものを言わなかったけれど、時々とても鋭く、またひょうきんな事言ってビックリさせられたり笑ったりした。そのIさんの歌。
 
 鬼となり仏となりて八十年今宵また聞く豆まきの声

「まっててぇ~」と推敲を重ねる姿が忘れられないMさんの歌。
これもきっと熟慮の末のお歌なのかと思う。

 しらじらと雨降る庭の秋ふかみ石の表情のみが豊けし

  1. 2006/01/17(火) 14:59:36|
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くたびれ短歌会

青山
 この所、無理して短歌会に出席を続けている。今日も頑張って出掛けた。出掛けてもロクな事は無い。満足に批評は出来ないし、自分の短歌はけなされるし、バカに暑くて帰りにはコートを脱いで手に持って汗だくになってしまった。せめて気の利いた画像でもと思って青山の夕景を一枚手みやげにしてみた。これは切り取ったらどんな風になるかしら(^-^) プロにおまかせしましょう。
  1. 2006/01/15(日) 22:51:24|
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短歌と私 9

 思いがけずどっぷりと人々と自然に心地よく浸って過ごしたこの地を離れる事は、私の短歌生活にとっても影響が少なくないような気がした。偶々お目に掛かる機会を得たT先生に
「東京のような自然の無い所で歌が出来るかどうかとても心配です。」と申し上げると、即座に先生は、
「東京にいらしたら、アララギにお入りなさい。アララギでは、毎月一度、選者の先生方の面会日というのがあります。このような事をしているのはアララギだけです。一流の先生から直接教えを受ける事の出来る滅多に無いチャンスです。私は心臆してとうとうアララギに入る事が出来ませんでした。是非そうなさい。」と勧められたのであった。

アララギがどのような結社であるのか、何故T先生は心臆してと言われたのか、全く何も知らぬ私は、先生のお薦めに従って、東京に行ったら早速アララギに入る事にしようと思った。
  1. 2006/01/15(日) 10:39:23|
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短歌と私 8

 黄昏時、向こうから見知らぬ人が近づいて、すれ違う。
「おばんですぅ」という声。慌てて「今晩は」と言葉を返す。
道を曲がれば豚の声がする。子供達は刈り取りの終えた田んぼの藁の山で子犬のようにじゃれて遊んだ。そしてM師匠の家のむべ棚に六度薄紫のむべの実が実った。

 夫の東京転勤が決まり、6年間住み慣れたその土地を去る事となった。来るときは地図を眺めてこんな辺鄙な田舎に行くのかとガッカリしたものだが、暖かい人々に囲まれて美しい自然にはぐくまれた日々は私の人生の中の最も楽しく充実した日々であったといえよう。へんてこな短歌もM師匠のお陰で何とか形になった。
 
 吾の背丈に近きわが子とかひな組み暮るる若葉の道をあゆみぬ
 読みたき本仕上げたき縫物ひと部屋に散らししままに今日も暮れたり
 太宰治坂口安吾を読みふくるその少年の黒きジャンパー
 切り裂くをテーマとしたる活け花展に切り裂かれたる植物を見ぬ
 蛍光塗料塗られし花の哀しみなど言ふべくもなし活け花展に  1977年
  1. 2006/01/14(土) 22:16:44|
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お別れパーティー

感謝の会125年続いたコーラスが今日でとうとう解散になった。最後の総会をしてから、みんなでぞろぞろがやがやと歩きながら小さなレストランに移動する。先生をお迎えして感謝とお別れのパーティー・ランチである。

前菜私が初めからのメンバーであるという事で、司会をする事になった。代表さんと相談しながら進行の順番を練った。始めに代表の挨拶、次に乾杯、食事をしながら会員のコメントを・・という予定だったが、レストランの美しいお姉様が乾杯の飲み物を一人一人何にするか聞いて回っているので仕方なく順番に先生へのお礼やらコーラスの思い出やらを話して貰う事にした。

スープ
全員こもごも思い出を語り終わった頃丁度テーブルにジュースやワインが満たされたグラスが並んだ。ここで目出度く乾杯!ゆっくりと食事を楽しんで頂く事とした。前菜は冷たい魚介類。ワインにピッタリ。次に暖かいポタージュはホタテ入り。上品でしかもこくがある。

メインディッシュメインディッシュは魚か肉との事で数の関係で私はどちらでも良いと言ったら肉が出てきた。それが子羊だという。え~~羊の肉?と思ったが、食べてみたら柔らかくて臭みもなかった。先生のお隣に座ったのはJさん。飛び切りお上品な方が飛び切りお上品な和服を着ていらした。先生への最高のエチケットに思えた。

デザート
デザートが出てきた。胡麻のムースとブルーベリーのシャーベット、スポンジケーキの取り合わせ。テーブルの上もシンプルになった所で代表さんと目配せして先生とピアニストさんに花束贈呈。引き続き先生に記念品と会員の寄せ書きの色紙を差し上げる。遂に先生はハンカチで目頭を押さえられる。

先生が最後のお話をされる。好きな事をして充実した人生を過ごす事が出来た事をこちらからお礼申し上げなくては・・と。
この会が出来た当初歌った「小さな花」という歌を歌った。
これでおしまい。とうとうおしまい。先生に感謝。みなさんに感謝♪
  1. 2006/01/13(金) 22:49:26|
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短歌と私 7

 超流派短歌誌Iは、折々全県歌会を行った。会場は水戸、日立、北茨城などであった。方式は同じく互選で上位入賞者には笠間焼きの花瓶などの賞が与えられる。だからと言うわけではないが、皆、大会受けするようなとっておきの歌を提出する。確かに、そういう歌があるのだ。
人の心を打つ歌、だれでも共感する歌、じ~んとくる歌が。
 
 全県歌会で、初めて主催者のT先生にお目に掛かった。T先生はドクターであり、又ご自分も長く闘病された方と伺った。端正で知的で物静かで暖かいお人柄を感じ、ひと目で傾倒してしまった。

寒々と海猫の飛ぶむかうには光をさめて雲たまりゆく
月の面の海のおぼろに見えながら聖金曜日のあかき満月
                       T先生 大洗より

T先生は山口茂吉に嘱望されていたとの事である。アララギ系の歌人といえようか。始めの歌などは、北茨城の海を歌われたのではなかろうかと思うほどであった。とうてい私には難しくて詠めない海の歌である。
  1. 2006/01/12(木) 11:28:09|
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短歌と私 6

 海と山の小さな町の短歌会の吟行会。山では、うぐいすの声を聞きながら清流でとれた鱒の塩焼きをつつく。こごみ、わらび、みず、タラの芽などの山菜に出会う。山の中で山菜のてんぷらをした事もあった。こんな時一番はしゃぐのはM御大であった。
「山菜のてんぷらはね~、先ず粉を軽くつけてからあげるんですよ。」
と豪快に油の中に「みず」を放り込む。

歩きながら珍しい植物を見つけては解説して下さるのは植物に詳しい校長先生。
「みなさん、これ、何だか知ってますか?」
「なんだっぺ~」
「おとしぶみですよ。」
「へ~~~」とみなが集まる。
「葉っぱをこんなふうにクルクル巻いてネ、ポトンと落とすんですよ。だからおとしぶみ。皆さんも経験あるんじゃないですか?アッハッハ。中に何が入ってるかっていうとネ、実はサナギが入ってるんですよ。」
  1. 2006/01/11(水) 09:52:23|
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短歌と私 5

この短歌会に私を紹介して呉れたPTAの友人はやはり私と同じ転勤族で既にある結社に属していた。短歌歴では先輩であった。

手のひらに冷たき豆腐切る時の妻とふ長き短き14年  M

当時の彼女のこの歌に私はいたく感心した。
「どうしたら歌の素材を見つける事が出来るの?」という私の質問に答えて、両手を広げて、ぐるっと身体の回りを回転させ、「自分の身の回りの手の届く範囲でも歌の素材はあるのよ。」と言った。あのジェスチャーと言葉が忘れられない。

時々吟行会が行われた。日帰りの時もあり、1泊の時もあった。
海が近いので良くみんなで海猫や、かもめの飛ぶ海岸を歩いて歌を考えた。浜菊や、浜ぼうふうなどという植物にも出会った。横山大観や野口雨情という芸術家を育てた大自然は堂々として清潔で本当に美しかった。あまり美しくて大きくてなかなか歌は出来なかった。泊まりがけの吟行会の時、歌の提出の時間が迫っても部屋の片隅に積んである布団を机にして何時までも推敲をしていたMさん。「待っててぇ。」と言いながら諦めずに必死で考えているMさんの後ろ姿が今でも目に浮かぶ。
Mさんは短歌会の帰り道に交通事故に遭い、片足が不自由になった。それでも短歌を捨てる事は無かった。今年もう101歳を迎えられた。

  1. 2006/01/10(火) 11:38:00|
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短歌と私 4

月に一度の短歌会は公民館や見晴らしの良い海辺の老人保養施設などで行われた。予め自作の短歌をはがきでM御大に送稿、それを全員分プリントして送られてくる。その詠草から自分が良いと思った歌を選びまたはがきに番号を書いてM御大に送る。御大はそれを集計して大事に歌会の当日持って来るのである。それを互選という。

短歌会が始まると、厳かに番号と点数が読み上げられる。緊張と期待と落胆の風が吹く。自分の歌に点数が入らないと、どうしてこの歌の良さが分からないんだろう、と思ったり、1点だけ入ると、誰が入れて呉れたのだろう、と胸が熱くなる。

牛飼いのIさんの牛の競りの歌などはいつも高得点を獲得する。夜のしじまに種籾を緑色(水色だったかな?)のウスプルン液に浸すなんどという農作業の歌なども絶賛を浴びた。Iさんは常にトップランナーであった。
  1. 2006/01/09(月) 16:19:27|
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成人の日

成人の日
七草も終わったけれど未だお正月気分の抜けていない自由が丘の町。今日は成人の日なんだろうか。昔は15日と決まっていたのでちょっとピンと来ない。

混んでいる店
遊歩道への細い抜け道にあるこの店の中はいつも衣類と人でぎゅうーずめだ。


クレープ
遊歩道に出るといつものクレープやさんが繁盛している。甘い匂いがその辺に漂ってほんわかとした気分にしてくれる。
  1. 2006/01/08(日) 22:39:11|
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短歌と私 3

月に一度短歌会があった。ボスのMさん始め、会長は牛飼いのIさん、外に温和な元郵便局長さん、学校の先生、炭坑社宅の奥さん、農家の腰の曲がったおばぁちゃん、我々のような余所から来たサラリーマンの主婦などなど。日立から毎回来て下さるKさんはダンディーなシルバーグレイ。時折水戸からK女史がいらして、批評などして帰られる。38名ほどのグループであった。

このグループの殆どは「超流派的短歌の相互研究と親睦をはかる」というI短歌誌の会員に属していたので、ごく自然に私もそこに加入して毎月送稿する事になった。
  1. 2006/01/08(日) 11:23:52|
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短歌と私 2

初めて正式に?短歌と向き合ったのは30代の半ば、下の子供が幼稚園に入った頃だったと思う。PTAで知り合った友人が地元(茨城県北部)の短歌会に入っているとの事で彼女の紹介でMさんの家に連れて行って貰う事にした。「Mさんってねぇ、一寸恐い人だから覚悟してね」

Mさんは独眼流、片足が不自由で、鍼灸マッサージをして居られる方であった。軒先にむべの棚があり、マッサージをほどこしながら歌の事に思いめぐらす。患者が途絶えるとそのむべ棚の見える茶の間に来てメモを前にして歌の推敲をする歌キチ。一人暮らしの方であった。

歌のイロハも分からない私の作った歌を前にして「う~~ん」と唸っていつまでも眺めている。「太い銀杏の幹に西日が当たって、その幹のくぼみから蟻が出てきた」という意味の歌だったと思う。歌は物事を具体的に表現するものだと教えて貰ったので、歌らしい言葉を使って具体的に表した積もりであった。

「あのね~、西日が当たるまでは良いんだけど、そこから蟻が出てきちゃったんだよね~、アハハハ・・」

何をどう歌えば良いのか少しも分からない私の始めの一歩を手取り足取り教えて下さったMさんは私の初めての歌の師匠であった。

  1. 2006/01/07(土) 21:12:22|
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短歌と私 1

タイトルに「短歌と私 1」なんて書いたけれど、2で終わるかも知れない。ずっと続くかもしれない。ぶっつけだから。でも、ブログを利用して、言うなれば私の短歌自分史になればいいなとフと思った。気が向いた時に書いてみよう。
私の年の離れた長兄が、戦争から帰って、一家でお寺の一隅で仮住まいをしていたとき、そこの住職が兄に短歌の手ほどきをした。とても熱心で、良く短歌会を開いていた。そして兄も「沃野」の熱心な会員になった。しかし、未だ小さい子供だった私は全く関心が無かった。
長じても短歌をする気にはなれなかった。何故ならこの兄は我が儘勝手、唯我独尊。私を可愛がるが、自分流。だから反発もあった。

初めて短歌らしきものを作ったのは2番目の子供を産んで間もなくの事だった。抱いてあやしていたら、赤ん坊の子供が額の中の技芸天女を見つめて「オォ~~」と感嘆の声を上げた。その事に感動して、この感動を何かの形にしたいと思った。ごく自然に5、7、5、7、7の短歌形式を取ったのは、知らず知らずに反発しながらも兄の影響があったからかも知れない。
  1. 2006/01/06(金) 14:39:49|
  2. 短歌など
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福袋

福袋
凍えるように寒かった昨日とは打って変わり穏やかな暖かい日差しに誘われて、腹ごなしも兼ねてぶらぶらと町を歩いた。するとあちらこちらに福袋が。インテリアと小物の店に足が吸い込まれる。大小の頭陀袋。大きいのは重くて担いで歩かなくてはならない。それでは欲張りばぁさんの図になってしまいそう。5千円の袋にする。

開けてびっくり
家に帰って早速ご開帳。さてお立ち会い。中身の程をご覧じませ。
ミニマット、トップクロス、スクールプチバッグ、ランチョンマット2枚、ソックス、綿エプロン2枚、クッションカバー、スリッパ、ティッシュカバー大1、小1、ポーチ、兎ちゃん人形、綿パン、帽子、等々。
早速クッションカバーを古いのと取り替える。食卓にトップクロスを敷く。庭への出入り口にミニマットを敷いてみる。ささやかな女の楽しみ。病みつきになりそうだ。
  1. 2006/01/03(火) 21:36:16|
  2. 今日の風、今日の雲
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謹賀新年

おめでとう
はじめより迷ひ迷ひて歌をよむ迷ひのはての青山南町  土屋文明

新年に相応しい歌は無いかと文明自選の歌集を眺めていたらこんな歌に出会った。青山南町百首の中の歌。文明先生にしてと今更思う。私などは迷い以前、何も考えていないも同然だ。今年は少しは考えてみようかな。年の初めとは斯くも殊勝な気持ちになる。

年末年始、眷属大集合でてんやわんや。ようやく一息ついた。
元旦の夜には年一度訪れる甥の息子から面白い話を聞いた。
彼がフランスの外人部隊に応募したという素っ頓狂な話。
結局数ヶ月でお払い箱になったそうだが、母親は驚天動地であったという。話として聞く分にはとてつもなく面白い。今は毎日背広を着てサラリーマンをしている。外からの風に吹かれた新年であった。





  1. 2006/01/02(月) 22:47:20|
  2. 今日の風、今日の雲
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