おだやかな日々に

FMとともに

ある瞬間
夕べ寝ようとして小さくFMをつけたらインドネシアの最近のポップスを流していた。深夜であったが、インドネシア語のなんとも言えない優しさが快くて番組の最後まで聞いてしまった。歌手の声が男性でも女性でもそれぞれに特徴があり、目を閉じて聞いていると不思議に色々な色彩のイメージが現れて、美しく変化してゆく。曲の中に微妙に組み込まれたインドネシアのDNAが快かった。それで夜更かししたので今朝は8時少し前にポカッと目が覚めた。着替えをする間又夕べと同じチャンネルをプッシュ。すると得も言われぬ美しい声が響いて来た。
何て美しいソプラノ・・と聞いているとビブラートなしで透明感がある。これはボーイソプラノではないか。そして、何とカッチーニのアヴェマリアを歌ったのである。もう着替えてしまったけれど、この声の持ち主が誰であるかを知る迄はこの場を動く事は出来ない。
 やがてアナウンサーが静かに告げた。
「曲目はルミノーサ、聖なる光、カッチーニ、アヴェマリア、彼方の光、歌はリベラでした。」と。
  1. 2006/02/28(火) 16:04:31|
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新しい出会い

君子蘭
 25年続いたコーラスが解散して寂しい思いをしていたが、ピアニストのUさんのご紹介で、新しい先生が4月から今までのメンバーをそっくり指導して下さる事になった。連絡係を仰せつかったので今日その先生にご挨拶に伺った。年齢は私と同年。ビックリするほどエネルギッシュで、圧倒された。丁度他のグループのレッスンをして居られたので、1時間ほど見学する。ご自分でピアノを弾いて歌って歌わせて・・・10年も若返ったような気分になった。
 「少しでも進歩しようと努力する姿勢があれば、私はどこまでもお付き合い致しますよ。」うわ~~、大変だ。これはまた絞られそうだ。練習曲を4曲ほどコピー用に頂いた。その中にカッチーニのアヴェマリアがあった。これって、あのカウンターテナーのスラヴァが歌っていた曲ではないか。俄然楽しみになってきた。
http://cocoro.m78.com/32ave_maria01.html
(このサイトの一番下の方でMIDIを聞く事が出来ます)


新しい出会いは何時もときめきがあって良いものだ。特に自分と同年で元気な人物に出会えた時はうれしい。負けてはいられないぞ。

帰りに東工大近くのレストランでサンドイッチのセットを頼んだら安くてボリュームあり。やっぱり学生の街だ。よ~~し、若蛙ぞ~~

  1. 2006/02/23(木) 22:28:51|
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散歩

雲
未だ風邪がすっきり治っていないRだったが、お散歩に行きたいとせがむので、ベビーカーにのせて軽いお散歩をする事にした。行く先はやはりいつもの林試の森。暖かいベンチに腰掛けてお煎餅を食べているRの横で空を見上げたら、可愛い雲が梢の上を流れて行った。クリスマスローズ
森を抜けて、住宅街を歩いていたら、玄関先の一寸したスペースに大好きなクリスマスローズが並んでいた。小さなローズガーデン。
ぼくも
間もなくお家に到着という所で、あるお店の前にデンと座っていたわんちゃん。優しい日の光が足元まで伸びていた。来週は元気になって滑り台で遊ぼうね。
  1. 2006/02/22(水) 21:44:32|
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レモンリーフ

レモンリーフ
月々の短歌12首を珍しくいつもより早めに投函した。封筒がポストの底に落ちるゴトンという音は、毎月の事ながら、ある悲哀感を伴って聞こえる。ま、いいや。そんなものだと既に諦めの心境。

ベッドルームに長いこと差して楽しんだ蘭の花が枯れて、一本のレモンリーフだけが息づいていた。洗面所の鏡の前で寒そうに咲いていたやや青みがかった菊の花に添えてあげた。咲き残った物同士のコラボレーション。この1首は自分で没とした。でも、アクセサリーくらいにはなるかしら。今日は一日雨だった。
  1. 2006/02/20(月) 21:53:28|
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小さな誕生会

バースデーケーキ
今日は二人の孫の合同誕生会の筈だったが、片方の孫が風邪を引いてしまったので、片方だけの誕生会になってしまった。毎年誕生会にはジジの膝に二人抱かれて写真を撮っていたので、撮影会は来週に日延べとなった。これまで写した写真を見ると、孫が大きくなるにつれ、ジジの髪の毛が明らかに白さを増してゆく。来年はもっと大きくなって膝に乗せられなくなるだろう。ジジの頭は真っ白に?うん、それでいいのだ。時間は止まらない。
  1. 2006/02/18(土) 22:52:38|
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愛されて

愛
大した降りでもなかったようだが、それでも玄関前は濡れていた。新聞を取りに出た途端、太郎が走ってきて、「ママ、ママ、お早う!」
あ~あ、洗ったばかりのエプロンに盛大なフットプリントが。愛されるってちょっとこまることもあるんだよね~~~
  1. 2006/02/17(金) 21:41:30|
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コートを脱いで

春が?
3歳になったRのお供で林試の森に出掛けた。今日はまるで春のようなポカポカ陽気で池の亀が甲羅干しをしていた。紅梅が綺麗。春一番の花見つけた。
砂山
砂場に行くと小さな子供達が大勢遊んでいた。新しい砂が山盛りで、登ったりすべったり。冬が寒かったから、こんなに暖かい日ざしがみんな嬉しい。
  1. 2006/02/15(水) 22:45:32|
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昨日今日のおはなし

ゆめ
お友達のご子息のコンサートに出掛けた。ベートーベンとマーラー。高度な演奏技術を要する大曲だ。若いエネルギーの充ち満ちた気持ちの良い演奏にどっぷり浸った。川崎駅からすぐのコンサートホールも素晴らしかった。そのホールの前でこれまた若者が寒風も物ともせず、パフォーマンスの準備中だった。奇妙なオブジェのような屋根を眺めていたら何だか不思議の国に入り込んで行けそうな気がしてきた。

春の影
娘の家の洗濯機が壊れたそうで、会社つとめの娘は毎日我が家に洗濯物をせっせと運んで来る。従って自ずから洗濯ばぁさんになってしまった。気がひけるとみえて、昨日はスパゲッティー、今日は混ぜご飯を一緒に持ってきた。それより洗剤が欲しいんだけど・・・

満艦飾に干し上がった洗濯物に満足して日向ぼっこをしていたら、クリスマスローズの花が咲き始めているのに気が付いた。もう春の光だった。この花を庭一面に咲かせていた友達は、今頃どうしているだろう。
  1. 2006/02/14(火) 16:07:12|
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短歌と私 24

 いよいよリアルタイムに近づいて来るに連れて、キーを打つ指運びが重くなってきた。アララギ解散からかれこれ10年近い年月が過ぎたとは考えてみても恐ろしい。その間、何をしていたのだろう。私の歌は少しも進歩していないではないか。ただ、ちんまりとまとまって、可もなく、不可も無い歌ばかり作り続けてきたように思う。土屋先生はある時、そのような歌を「形式化してしまうと進歩がなくなる」と言われた事があった。一見難が無いように見える歌にすっぽりと落ち着いてしまうと困るのである。今私は困る状態にあるのではないか。
長い年月、沢山の先生や先輩の教えを受けて、やっと何とか出来た土台の上にどっかりと居心地良く乗っかっていてはいけない。これからピカソのような遍歴の時代に入ってゆかなくてはいけないと、ごく最近やっと気が付いた。
 
しかし言うは易く行うは難し。特に怠け者の私は毎日楽しくあそんで、ゆっくりくつろいで、年相応なおだやかな日々を過ごしているのである。せめて毎月の12首のうち、3首くらい、敢えてこの細腕で壁を叩いてみようか。

所詮私の歌は時を留めようとして始めたもの、心打たれる瞬間を永遠と見てその瞬間を捕らえる事が出来れば幸せ。そして私には歌えない新鮮でハッとする誰かの歌に巡り会えれば幸せ。短歌と私、こんなところでおしまいかなぁ。だらだらとした駄文に沢山コメントを頂きまして本当に有り難う御座いました。これからもどうぞ宜しくご指導お願いいたします。
  1. 2006/02/13(月) 22:54:21|
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短歌と私 23

ゆうぐれ
怖いもの知らずで飛び込んだアララギで勉強というものを知らぬ小学生のように先生や先輩の言葉にただ学んだ。とはいえ、自分で積極的に勉強もしなかった。才能も無い、しかも勉強もしない私は短歌会で学んだだけの事であった。それでも何となく歌らしい歌が作れるようになったかなと思う頃、一人、又一人と選者の先生が亡くなられた。
そしてとうとう、土屋文明先生が亡くなってしまわれた。
巨星落つ・・・そしてアララギ分裂。

アララギの歌がどういうものか、アララギの歌は、どう作れば良いのかが、やっと少し分かって来た所なのに。これからどうすれば良いの?掘り返された蟻塚の蟻のように、多分私も含めて会員達は右往左往した筈である。

今、手元に平成6年3月号のアララギ、土屋文明特集がある。アララギ千号記念特集号のつづきである。その「土屋文明 折々の言葉」にその答えのキーワードが隠されているように思った。

「途中で止めてしまえばそれまでだが続けていれば自分にしか作れない歌が作れるようになる」
「アララギも流は万流でいきましょう」
「歌の本道というものは面白さではない」
「フィクションをどうしようってんだ。使いたければ使い給え。嫌なら止め給え」

全部は書ききれない。土屋先生の厳しく、お優しい声が耳元に聞こえてくるような気がする。




  1. 2006/02/10(金) 14:32:35|
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短歌と私 22

 父が亡くなり、一人で暮らしていた母が89歳となり、一緒に暮らす事になった。その母が95歳に成ったとき、所謂認知症となり、私は外出も思うにまかせぬ状態となったので、毎月の短歌会も欠席勝ちになってしまった。今のようにパソコンでも出来れば同じ境遇の仲間を見つけて情報交換などする事もできたろうと思うが、介護は初めての経験で大きなストレスがかかった。何とか毎月の詠草だけは作った。しかし出来た歌は殆どが介護の悲鳴であった。ぎりぎりの叫びであった。しかし、叫べば叫ぶほど、その歌は採って貰えなかった。採られる歌は「これは違うよ!」と思うものばかり。どうしてあの歌は採って貰えないのだろうか、何故生ぬるいものしか採られないのだろうか。

やがてその事で、生の叫びは歌にはならない事を教えられた。介護に疲れて夕方雨戸を引く時に眺めた空の色にひととき心和んだそんなときの歌などが採られた。
 
ルーベンスの描きしごとき夕べの雲しばし眺めて雨戸鎖しぬ
  1. 2006/02/07(火) 22:24:36|
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今日のこと

薪が
今日は快晴、自転車でちょっと離れた所にあるおしゃれなスーパーまで足を伸ばした。前庭に薪が積んである。こんな都会で薪を使うとは。誰が?何のために?ふん、暖炉に燃やす?バーベキュー?あ、そうか、五右衛門風呂でも焚くのかな?ウフフ・・
フローリスト
昨日は節分、今日はもう春だ!少なくとも、日差しを一杯に浴びたこの花たちは春そのものの顔をしている。トッポッキ
トッポッキの材料が目に飛び込んだ。そうだ、今夜はトッポッキを作ってみよう。人参、ピーマン、タマネギなどの野菜を買う。そして、出来たてのトッポッキ。ここまで本格的に辛くなくても良かった。胃袋までしわしわと辛かった。辛い物が大好きだった父にたべさせて上げたかった。
菜の花
 春を実感するために菜の花のおひたしも作った。中に花が咲いている茎があったので、花瓶に挿した。あたりに春の音符が踊ったような気がした。
  1. 2006/02/04(土) 21:37:55|
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短歌と私 21

 小さな短歌会では始めに万葉集を読む事から始めた。毎月のアララギに掲載されていたもので、難しい論文のようで、一人ではなかなか読めなかったから、良い勉強をさせて頂いた。
 やはり、例の如くの批評会で、一人一人の歌をああでもないこうでもないと気楽に批評しあった。ここが悪い、これは無くても、などとバラバラに分解されて、折角作った歌が空中分解して何にも残らなくなってしまうなどというハメに陥ったりもした。しかし、充実した楽しい、良い歌会であった。長く続き、会場が学士会館から青山学院の同窓会館にうつっても、続き、アララギが分裂してメンバーの殆どが別の結社となった今も続いている。袂を分かった私はけじめとしてやむなく止めてしまったが、残念な事でもあった。
  1. 2006/02/03(金) 12:15:12|
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短歌と私 20

 短歌の批評をする場合、色々な表現を使うのであるが、アララギに入って初めて聞く表現が幾つかあった。それは気分的、興味的、理が立つ、等であった。一体どういう事かとしばらくは良く分からなかった。私の歌などは、大体この3つのパターンで蹴っ飛ばされた。
 
 小さな短歌会にも男性が2人入られて、会場も学士会館となり、私は東京歌会では土屋文明先生に、小さな歌会では先輩達に、アララギの歌とはかくあるもの、良い歌とはかく在るべき物ものという事を少しずつ学んだ。そうしているうちに、気分的な歌とは、興味的な歌とは、理が立つ歌とはどんなものであり、それが何故非とされるのかが、少し分かったように思えてきたのであった。

やがて不思議なもので、入った当時はゴツゴツ感じたアララギの歌が、一見、無骨に見えていても、底に潜んだ何か底光りのするものが訴えて来る何かを感じるようになった。そうなると、所謂気分的、興味的、理が立つ歌がつまらない、浅薄なものに思えるようになったのであった。

昭和50年5月号、入会した当時のアララギの「問題と意見」~昭和生まれの人々の作品~で、O氏は
 たゆたひやまざりこころさゐさゐとたださゐさゐとこの夜しぐるる
の歌を、「・・このやうな詠風は気だるい頽廃が目につくだけで、僕らとは無縁の世界である」と言い切っている。気分的な歌ということになるのであろうか。
 
  1. 2006/02/01(水) 14:20:09|
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