おだやかな日々に

グッバイ 

雨の中
南青山の発行所が移転する事になり、最終のお手伝いに行く。
生憎の雨。南青山の町はどこもかしこも雨、雨、雨。
花屋さん
  
美しい女性を見上げながら少し歩いた四つ角の花屋さん。色々な季節の花たちに幾たび癒された事だろう。


この角を
このレストランを左に曲がる。こんな風にいつもゼラニュームが飾ってあった。
みどり

突き当たって左を見ると緑である。今花のさかり。何の木だろう。わからずじまい。

坂道
 この坂を下って登り、右に曲がればすぐ発行所である。角の区民センターで、短歌会もやった。右に見えるFホテルの向こう側には、斎藤茂吉の青山脳病院があった所だ。土屋文明先生もこの近くに亡くなられるまで住んで居られた。
発行所に着いたらもう、第一便の車に荷物が積まれていた。集まったボランティアが力を合わせて小さな一部屋の発行所の引っ越しは恙なく終わった。もう、ここに通う事も無くなった。グッバイ、雨の南青山。
  1. 2008/06/29(日) 21:55:23|
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今日のこと

朝日とともに
今年初めてのエンジェルズトランペットが咲いた。朝日を受けて清々しい。はじめまして


桜の咲く頃、姪と一緒に花やさんで球根を買い、半分分けした百合が初めて咲いた。これから白いカサブランカも咲く予定。楽しみだ。
ふたたび

 
去年か一昨年、鉢植えで買ったのにすっかり絶えてしまったと思っていたら、今年蘇った。木陰で可愛らしい花を咲かせてくれた。ありがとう。今朝の庭の花達の表情。
茅の輪
 
氏神さまのお祓い札を納めに行くと、新しい茅の輪が出来ていた。
厄除け
そう、母が居るときは母の分もくぐったけれど、今日は夫の分と子ども達の分をと思っていたら、後続の方が居られたので、子ども達の分は纏めて宜しくおねがいした。都合、3回出たり入ったり・・
くぐって

何となく清々しい気持ち。この茅の輪はまた歳末に飾られる。みんな恙なく健康に暮らせますように。
  1. 2008/06/28(土) 21:51:49|
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ホ~タル来い!

公園
ホタルを見に行かない?との息子の誘いに早速乗る。本当に居るか居ないか分からないよとの事であるが、夕方のドライブも偶には良いではないか。行く先はインターネットで調べたという横浜の子ども自然公園である。広々として綺麗に整った公園であった。
池
ぶらぶらと歩いてゆくと池があった。実は、すっかり暗くなった帰り道、ここで、ウシガエルが鳴いていた。久しぶりに聞く声。孫はびっくりしていた。
夕景


更に進んでゆくと向こうの森に白い花を咲かせた大木が。ミズキだろうか。
田圃
手前の田圃には、一枚一枚立て札が立っており、小学校の名前が書いてある。小学生達が田植えをして育てているのだ。素晴らしい。昔ながらの田園風景で、小川がチョロチョロと流れている。思わずメダカの学校の歌が口をついて出てきた。
看板
こんな立て札発見。いよいよホタルの生息地に近づいたようだ。ここに
田圃が終わり、その奥までやって来た。この辺りに十数匹のホタルが出現するようだ。葭が生い茂り、その向こうには水があるようだ。その向こうは深い森になっている。向こうに二人ずれの女性が居たので聞いてみると、ここがホタルの居る場所に間違いないということであった。暗くなるまで待機する事になった。

木の実と花
近くの道端に茄子の花によく似た花が咲いていた。桜の様な木に可愛らしい実がなっていた。
待っている人
ようやく暗くなってきた。三々五々家族連れなど、ホタル見物の人たちが集まって来た。柵に凭れてじっとホタルの出現を待っているひと。
蛍
そして現れたホタル!
何十年ぶりである。二十代に職場の英会話の仲間とアメリカ人二人と椿山荘にホタル狩りに行って以来である。昭和三十年代半ば、既に都会からホタルが消えていた。ここに自然の形でホタルが生息しているのは、奇跡のようだ。ふわ~りふわ~りと灯ったり消えたりしながら漂うホタルにみんなしあわせな気持ちになった。この画像と次の画像は息子のカメラで写したもの。雲のデジカメでは駄目であった。動画に点が動くのが見えたが、実際のホタルの優雅な動きは出なかった。
蛍
「ホタルって何を食べるの?」と孫に聞かれた。調べたら、カワニナという巻き貝を食べるのだそうだ。カワニナは綺麗な水中で藻を食べるのだそうだ。だから水を汚せば結局ホタルが居なくなる訳で、ここの田圃は有機栽培で稲を育てているという。ホタルが住める自然を残す努力がここでは続けられている。幸せな夜であった。
  1. 2008/06/16(月) 22:12:44|
  2. 今日の風、今日の雲
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蓼科高原と下諏訪 4

昼はざるそば
丁度昼時になったので、駅の案内所で教えて貰った山猫亭という蕎麦屋でざるそばを食べる。我々の他は尼さん4人という取り合わせ。すぐお隣は諏訪大社下社秋宮であったが、今回は遙拝して失礼する。(また来よう!)民俗資料館やオルゴール博物館も目の前であったが、そちらもパス。
今井邦子文学館
坂道をだらだらと下るとすぐ今井邦子文学館であった。ここは中山道下諏訪宿の茶屋であった「松屋」(邦子実家)の建物を復元したのだそうだ。こじんまりとした趣である。
邦子
3人ほどの中年の男女が井戸端会議中であったが、中の一人が2階へどうぞと誘って呉れた。そこが資料の展示場となっていた。早速邦子さんにお目にかかる。何故今井邦子に拘ったかというと、雲がアララギに入って間もなくのこと、歌会で偶々隣り合わせた方が小さな歌会に誘って下さった。会場は閑静な個人のお宅であった。そこがMさんのお宅。そしてMさんのお姉様が今井邦子さんであると知ったからである。Mさんは美しい方であった。近寄りがたいような風格を持っておられ、新米の雲はいつも緊張していた。そのお姉様である邦子さんとはどんな方だったのだろうかと。
手紙
赤彦記念館にも赤彦から邦子への手紙があったが、これも見やすいように印刷してある赤彦から邦子に宛てたの手紙の内容の一部である。赤彦が邦子の歌を批評した事に反発した邦子の電話に対して書かれた手紙などもあり、赤彦と邦子の歌人としての交流が偲ばれ,二人の短歌への情熱がひしひしと感じられた。
添削
これは赤彦が添削した邦子の短歌の原稿である。当時は筆書きであるが、今と同じだなぁと暫しガラスに頭をくっつけて覗き込んでいた。
明日香
邦子は昭和11年にアララギを離れ女性歌誌「明日香」を創刊したというから相当な女性であったのだと衿を正す思いである。末の妹であったM・千代子さんのきりっとした面影がまざまざと心に重なった。
明日香創刊号
その「明日香」の創刊号である。

居室
2階の奥の部屋には邦子の愛用の着物や帯、タンスや本などが置かれ床の間には邦子の自筆の短歌が拓本のような架け塾になって飾られていた。瑞々しい一輪の赤いバラの花が印象的であった。
短歌
あまり達筆で読めない。
旅の記憶
島木赤彦と今井邦子、長年心の隅で気になっていた二人のアララギ歌人に出会う事が出来たのは何か意味のある事なのかも知れない。

青空の遠くに著き(しるき)山ひとつ雪をいただき輝きてあり  赤彦
 正に帰りの列車の中から雲が見たそのままの景色であった。
  1. 2008/06/11(水) 22:27:06|
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蓼科高原と下諏訪 3

赤彦居宅への道
この道を行けば柿蔭山房ですよとタクシーの運転手さんが教えて呉れた細道は少し上り坂であった。向こうに小山があり、手前の家の庭が借景で素晴らしいと思ったら、そこが赤彦の家、柿蔭山房であった。赤彦の家
敷地に一歩足を踏み入れた途端にすがやかな気持ちになったのはどっしりとした藁葺き屋根と大木の緑のせいであろうか。


胡桃の木

ある日わが庭の胡桃に囀りし小雀来らず冴えかへりつつ    赤彦
夜おそくわが手を洗ふ縁のうへに匂ひ来るは胡桃の花か    赤彦
門の傍らに胡桃の大木があった。そこに詠われた木があるという事が、何か不思議な気がする。 そんな不思議に幾つか出会った。 
赤松
この赤松は樹齢300年ほどだそうだ。初めて見るような立派な大木で本当に四方に枝を伸ばしていた。
赤松の枝
義姉と雲だけの静かな時、管理人の姿も見えない。まぶしいほどの日が差して庭に木草だけが能弁であった。

藁屋根
伸びた赤松の枝の向こうに藁葺き屋根がどっしりとして見えた。廊下にはカーテンが掛けられて、客室と居室の一部が開かれ、そこから内部が見えるようになっていた。右側の八畳くらいの部屋には赤彦終焉の部屋と書いた立て札が立っていた。
水屋
裏手に廻ると水場であった。そこにも赤彦の短歌が書かれた立て札。記念館で手に入れた赤彦の歌集「氷魚」(ひを)をぱらっと見ると目次に「病床」という箇所があるが、この立て札の歌は大正15年であるから「氷魚」の時代よりずっと後、最晩年の歌だ。
井戸
桑の葉の茂りをわけて来りけり古井の底に水は光れり   赤彦
顔洗ふ子は知らず居りひっそりと井戸をめぐりて虫ぞ鳴くなる   赤彦
ヤブレガサと花
赤彦が好んだ植物かどうか、庭のかしこにさまざまな草木が場所を得て茂っていた。久しぶりにヤブレガサに出会った。蕾をつけていたが、どんな花が咲くのであろうか。
サクラソウと翁草
涼やかな白い花には「サクラソウ」と名札がついていた。おとなりはすっかりほほけたオキナグサである。
赤彦追慕
無人の柿蔭山房をぐるりと一回りして振り仰ぐと藁葺き屋根の上には諏訪の空。白い雲が流れていた。
山房を出て山猫亭で蕎麦の昼食、それから今井邦子文学館に行こう。


  1. 2008/06/09(月) 23:06:42|
  2. 短歌など
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蓼科高原と下諏訪 2

島木赤彦記念館
茅野から下諏訪まで電車に乗って行く。インターネットで大体調べて案内図なども持って行ったが、義姉が駅の案内所で聞いてみようというので、立ち寄った。ぐるりと廻るのに要する時間や、タクシー会社の電話番号、昼食のお勧めの店など、やはり有益な情報を得る事が出来た。先ずタクシーで諏訪湖畔にある赤彦記念館に。びっくりするほど大きな建物で近代的なデザインであった。

諏訪湖
記念館の前に拡がる諏訪湖である。雨が続いたせいか水が濁って見えた。冬になるとこの湖が氷るのだろうか。夕焼け空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖(うみ)の静けさ    島木赤彦
赤彦
昔、歌を初めて間もない頃、短歌会の一人のご老人をお見舞いに行った事があった。その時、重い病の床で「ぼくはねー、赤彦の歌を読んでワァワァ泣きましたよ」と言われた。それ以来赤彦の名前がずっと心に引っかかっていたのだが、何しろ不勉強ものでこの年まで赤彦の顔も知らなかった。記念館に入るとすぐこの写真が掲げてあった。とても親しい人に巡り会ったような心持ちであった。
愛用品
大正時代の品物であろうか。赤彦の愛用品が黙然と陳列されていた。
一巻一号
 アララギ第一巻一号にお目に掛かった。これが出るまでに色々な経緯があったようだ。アララギの初めのよすがを目の前にして暫し感傷に浸る。


表紙絵
アララギ時代に良く名前を聞いた平福百穂画伯の表紙絵である。初めて見る事が出来た。
 
追悼号
赤彦の追悼号である。大正15年50歳でこの世を去った。明治45年に雑誌廃刊問題が起こり、続刊に多大な尽力をしたと年譜に記されていた。色々あったのだなぁと当時の事などがひどく身近に感じられた。島木赤彦の一生がここに集約されていた。それにしても、50歳で・・・・ああ・・・
 ここから、赤彦の居宅、柿蔭山房へと向かった。
  1. 2008/06/08(日) 22:15:47|
  2. 短歌など
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蓼科高原と下諏訪 1

窓から ささやかな1泊旅行は茅野からホテルの送迎車で25分、蓼科高原のリゾートの一郭。娘からのプレゼントであった。梅雨に入って雨を覚悟の旅支度。静かな茅野の町を抜けて緑のまっただ中のホテルに到着。携帯電話は「圏外」となった。黄昏近く、大きなガラス窓の向こうは赤松と落葉松の林である。
窓を少し開くと風に揺れて木のきしむ音がした。何とかその音を採りたいと動画にしたが、雑音が入ってしまった。(初めの方で耳を澄ますと幸運な方は2度ほどお聞きになれると思います。)





テーブル
先だって前進座に招待して呉れた83歳の義姉を誘っての旅である。夕食がお気に召すかと少し心配であったが、大満足して貰えたようだ。今夜の宿泊客はたったの3組。テーブルのアルコールランプが暖かい。
献立
美味しくてご馳走の画像が殆ど手ぶれしてしまった。前菜の蕎麦団子が珍しかった。
白樺
レストランの大きな窓からライトアップされた白樺がきれいだ。
食堂風景
一夜が明けた。 こんなに静かでゆったりとした旅は初めてである。何と朝日が燦々と差して鳥たちの声がにぎやかである。林の奥でカッコウが鳴いている。山ツツジが緑の中に美しく咲いている庭を眺めながらのブレックファースト。

藤の花
ホテルのまわりはひたすら緑である。目が洗われるようだ。季節は東京より一足遅い。山藤のはなざかりである。チェックアウトをしながら、カッコウの声を聞いた事を話したら、雉子の声は聞きませんでしたか?と言われた。雉が良く出るそうだ。
旧道ののぼりくだりを行きしかば雉子(きぎす)鳴くもよ草山の上に  島木赤彦

出発
これから下諏訪に行き、島木赤彦氏、今井邦子さんにお目に掛かる。俳句を作る兄嫁にも付き合って貰うことになった。



  1. 2008/06/07(土) 15:08:59|
  2. 短歌など
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赤松林

20080606110444
蓼科にきました。今朝はお天気。この林で蝉がないていました。今朝カッコ-の声を聞きました。
  1. 2008/06/06(金) 11:04:45|
  2. 今日の風、今日の雲
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テスト

20080605094016
国立博物館前のユリノキ
  1. 2008/06/05(木) 09:40:16|
  2. 今日の風、今日の雲
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劇場空間二題

国立劇場に
 5月某日、義姉の誘いで嫁のイダと3人で国立劇場へ。日本の芝居は初めてのイダだが、前進座の新田次郎原作「怒る富士」は一寸難しいかも・・と少し心配。

劇場
 外見は校倉造りのように見える国立劇場はお隣の最高裁判所の建物と並んで堂々たるもの。劇場に入ると提灯が並んで独特の華やかな雰囲気だ。前から5列目のほぼ真ん中の上等な席であった。
ロビー
宝永の富士山の爆発によって土地を失った貧しい農民とその味方になって最後は命を落とす代官の話。ドラマに起伏があり、イダも理解出来たようだが、ゴージャスな劇場で、1個の握り飯にかじり付く凄い形相の飢えた農民の話に、ギャップがありすぎ。社会派の深刻なドラマであった。客層は年配者が圧倒的に多かった。折しも中国で大地震が起き、何だか時期を得た上演であったようだ。
劇場の前
そして本日、これまたひょんな事で友人から宝塚の切符が廻って来た。日比谷に宝塚歌劇場が改築されてからもうかれこれ7,8年経つようだが、爾来初めてである。通い慣れたズカキチの友人の後について行く。劇場街のこのあたり、ほわ~んとした良い雰囲気である。

ロビーで
今日は月組の公演、ロビーに大きな広告が。A席だが、エスカレーターで上へ上へ。訳もなく年を忘れて心が浮き立ってくる。ご一緒にエスカレーターを登りませんか。



緞帳
意外に日本的な 宝塚劇場の緞帳であった。手前にはオーケストラボックスがあり、座った席が上の方だったので、ボックスが半分くらい見えた。


いよいよ
幕が上がるとウワ、宝塚!ここからはデジカメ禁止。明るくて華やかであか抜けして肩の凝らないドラマが軽快に進行した。フィナーレは溌剌ピチピチフレッシュなラインダンス。舞台や衣装の色彩が本当に美しかった。偶には良いものだと感心しながら外に出ると、劇場の前に同じ服を着た若い人たちがずらりと行列している。あれな~に?と聞くとファンクラブの人たちがスターが出て来るのを待っているのだとのこと。さぞかし賑やかな嬌声が飛び交う事だろう。宝塚に嵌り込んだら大変。気をつけよう!
  1. 2008/06/02(月) 21:45:42|
  2. 観劇
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