
一ヶ月お休みしてしまったが、今月は万葉集の講座に出席することが出来た。折しもその日の朝の新聞に「奈良・明日香村 の小山田遺跡で横穴式石室の痕跡と見られる遺構が見つかり、遺跡が7世紀ごろに築造された未知の古墳で石舞台を上回る規模という事が確定した。飛鳥期最大級の古墳であり、小山田古墳と命名された」という記事が掲載されていた。墓の主は舒明天皇?蝦夷?(画像は甘樫丘から見た飛鳥の風景)

石舞台や飛鳥の写真があった筈だと散々探してようやく見つけた。もう二十年も前になるだろうか、世田谷区の婦人大学に参加していた時に飛鳥地方に行った時の古い写真であるが、クリックすると石舞台と人間の大きさが分かるが、これよりも大きな規模の古墳とは・・・と朝から万葉気分になった。

28
春すぎて夏来るらししろたへの衣ほしたり天の香具山 持統天皇
今回はこの有名な歌と、次の29、柿本人麻呂の長歌であった。
古い写真なので色褪せてしまっているが、かろうじて香具山が見える。同じくやっと見つけた自前の写真である。
28の歌は「白い衣が香具山にほしてあるのが見える」と単純に解釈していたが、先生は遠くから見ると白いのは衣かどうか良く見えないのではないか、という説があるという。それで、白いのは雪ではないかと。
え~~夏きにけらしと言っているのに雪ですかぁ?
東歌に「筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しき児ろが布乾さるかも」や平安時代の初めに歌われた地方民謡に「甲斐が嶺に白きは雪かや否をさの甲斐の褻衣(けごろも)や甲斐の褻衣」というものがあるとの事。これってやはり雪ではなくて布では?それとも??分からなくなった。
当たり前だけれどああ、そうかと思ったのは、
万葉歌の「ほしたり」は「ほしてあり」の略。百人一首( 新古今歌)の「ほすてふ」は「ほすといふ」の略。
で、見えるというのと、見えたそうだでは時制が違うので、今更ながらそこに時代の隔たりを確認したわけである。
29の長歌では主として柿本人麻呂の事についての説明があった。
人麻呂は下級官人知識人で相当に中国の詩文を勉強しているという事。古い枕詞を新しく作り替えたりしてふんだんに使っている事。例えば「そらみつ大和」を「に」を入れて「そらにみつ 大和を置きて」など。
土屋文明先生の万葉集私注にはこの長歌の語釈と作者及び作意について多くの頁を割いて書かれている。茂吉もほめている長歌だそうだ。春の草の生い茂った大津の都を見て悲しんでいる様子が表されている
本文は長いので省略。以上、取り敢えず復習終了。
- 2017/03/07(火) 10:59:22|
- 短歌など
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昨日友人が奈良出身ということがわかって、飛鳥を歩きたい、という話をしていました。万葉集や源氏物語の時代へタイムスリップできる場所ですものね。
万葉集を読みながら一回だけ歩いたことがあって、今になってみるとあれは貴重な体験だったのだなと思い出します。
古い写真を探していたのは、このアップのため?
- 2017/03/12(日) 23:36:15 |
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- わかめ #BIBt.93s
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わかめさん、コメントを有難うございます。
結婚してすぐ大阪は南河内の藤井寺に3年程住みましたが、子育てに追われて殆ど史跡巡りは出来ませんでした。二上山もすぐ近くだったのに。この写真、もう色褪せましたが、あの時行っておいで良かったと思いました。
- 2017/03/13(月) 23:47:39 |
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- 雲 #-
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