
64 葦べゆく鴨の羽交に霜ふりて寒き夕は大和し思ほゆ
志貴皇子
65 霰うつあられ松原住の江の弟日をとめと見れどあかぬかも
長皇子
この二首は斎藤茂吉が好んだ歌だったそうだ。
64の「羽がひ」は『羽と羽、即ち両翼の相交わるところだが、大凡に羽を言って居るのであろう』、『鴨の羽がひに霜ふりてという所を現在の常識たる自然認識の方法で、とかく考えるのは無駄なことだ。作者はかく思考せられたので、かく歌われたのである。』とは私注の言葉。作者の主観的強調が加わっているとも述べられている。叙景的抒情歌のお手本のような歌ですねと先生のお言葉であった。
所で、志貴皇子は天智天皇の皇子で、魅力的な孤高の皇子であったというお話を伺った途端に興味津々。皇子自身は天皇にはなられず、天武天皇の皇子たちの下に序列されたそうだ。
岩ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
も、この志貴皇子の歌であった。ちなみに長皇子は天武天皇の皇子。
70 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥きさの中山呼びぞ越ゆなる
高市連黒人
この歌も同じく茂吉も○の歌だそうだ。
先生はこの歌には形容詞が無いと言われた。 高市連黒人は叙景歌人であり、具体的で調べが整っているとも。最近短歌会でも形容詞は無い方が良いと聞いた事を思い出した。これからの作歌の注意点かしら。
呼子鳥は子、即ち人間を呼ぶように聞こえる鳥で、郭公、山鳩の類であろうと私注にある。
茂吉の「万葉秀歌」には、”普通ならば『行くらむ』といふところを、『來らむ』といふに就いて”云々、の記述が面白い。英語の”come”と”go"みたいだと思った。土屋先生はクルはユクと同義に用いたという事も理解出来るが全く感じ方の上でのこととすべきと述べておられる。万葉集の解釈は随分と色々あるようだ。キサノナカヤマについても、土屋先生は宮瀧とは別のもっと下流の吉野離宮の所在に近い所で従来の説には従いがたいと述べておられる。学問とは難しきものかな。読まれた辺りに行って見たいなどと話し合った。声に出して読んでいるうちに何時とはなしに、心持ちが万葉人に近づいてゆくような錯覚を覚えるのは気持ち良い。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/isacha/yosinomiyataki.htm
