おだやかな日々に

ふたたび万葉集メモ  2

咲きたて
 今日は「諸王の挽歌」というテーマで巻3・417~425迄を勉強した。ここは輪読会でも眼を通した所であったが、記憶の底に沈殿していた。
始めの歌は

大君の和魂(にきたま)あへや豊国の鏡の山を宮と定むる 417(手持女王)
という歌であるが、ここにある和魂(にきたま)についての説明があった。昔は魂には表と裏があり、表が「荒魂」、裏が「和魂」と言われたという。この話を聞いて思い出したのは以前ブログにも書いた事であるが、土屋文明先生の思い出をご息女の草子さまが語られた時の事であった。
先生の歌集、「ふゆくさ」を読んだ芥川龍之介がいち早く、土屋先生の中の「あらみたま」と「にぎみたま」を指摘した文章が残っているという話である。
という事は芥川龍之介も万葉時代の「荒魂」、「和魂」を認識していたのだなぁ・・・と改めてその博識を思った。それで、もう一度土屋先生の万葉集私注を開いて見ると、「和魂」のところが「親魄(むつたま)」となっていた。お手軽にネットで検索すると、「親魄(にきたま)」とかなを振ってあった。意味は同じである。土屋先生はこの歌を「悲嘆の声がこめられてい」として評価されている。
川風の寒き長谷(はつせ)を嘆きつつ君があるくに似る人も逢へや 425 
この歌の作者ははっきりしていないらしく、「或は云はく 紀皇女の薨ぜし後に 山前王、石田王に代はりて作るといふ」とある。この歌を読んだ時にとても現代的な感覚を感じた。ちょっと解釈がややこしいが下句は「似る人にも逢うであろうか、おそらく逢はれまい」というのだ。何となくそこはかとなく悲しみが伝わってくる。
今日は石田王(いわたのおおきみ)への挽歌が多かった。石田王は系統未詳。但し「薬師寺縁起」には忍壁皇子の子で山前王の弟とあるそうだ。挽歌から類推すると若くして突然なくなったらしい。石田王ってどんな人だったんだろう・・・と想像する楽しさを学んだ今日であった。
  1. 2011/07/07(木) 21:52:07|
  2. 短歌など
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